【73】栄養>配慮、感情の揺さぶり

私は月に1度整体の勉強の為に豊橋へ通っています。日曜日の午後6時からの講座の為、勉強が終了すると10時を過ぎてしまいます。それから車で東京に向かう生活をしていますが、最近つくずく思うことは高速道路の運転マナーが非常に悪くなったということです。それはというと速度が遅いわりに追い越し車線を走っている車が多く見られ、その後ろに車が近づいても反応無く結果的には渋滞を招くことにもなります。基本的に追い越し車線(右端)は追い越す時のみ使用し常には走行車線(左側)を走るのが規則のようですが、仮に追い越し車線を走っていても以前は後ろから車が来たことに反応して、走行車線に入り後続の早い車に道を譲るという暗黙の了解が成り立っていました。
混んだ都会の交差点で歩きながら携帯電話をして、行き交う他人にぶつかりそうに成りながら迷惑をかけていることと同じです。
恐らくですが、それらのことというのは、その人の生活すべてに同調しているようにも思え、周りに配慮することができなくなっている人が多くなってきているのでは無いかと思います。
アクセルを踏まなくてもスピードが一定に走れる機能を積み、いまでは白線に沿って自動で運転することや、障害物が近づくと自動でブレーキを踏むなどの便利さが増えることにより、本人次第ですが社会の秩序が乱れてきていると感じてしまいます。
躾や教育の内容が昔と違うと一言では言い切れませんが、そのようになってしまった社会環境や家族環境に本当の原因はあるのではないかと思います。
男女平等とよくいわれますが、どういうことが平等なのでしょうか。同じことを同じにするということは平等では無いと私は思います。なぜなら、男と女は身体も心も全く違う生き物です。同じことをするのではなく役割分担をしっかりするということが本当の平等につながるのではないでしょうか。
今は体罰は禁止というのが主流だと思いますが私が小学校の時には、忘れ物をしたものは黒板の前で立ち、先生がはたきのフサフサの部分を取った棒でおしりを叩くということが毎日行われていました。その叩かれた人は腿の後ろがミミズ腫れになっていて、それをみると痛々しく、忘れ物は絶対しないようにと思うようになりました。そのような自分を戒める力になっていたことは、今でもとても良いことだったと思っています。また運動会の徒競走も順位があり、負けると悔しいという感情が沸き、今度は負けないようにと家で密かに練習したりもしたものです。今は極端なところでは、みんな一緒に手を繋いでゴールということもあると聞いたことがあります。子供の時に感情を揺さぶり、その状況を一つ一つ打破する努力をしたことで色々なことを学べるのに、感情が動かないようにしているのは大きな間違えで、その後突然に感情が動いた時に対処できないことになってしまうことでしょう。
電気製品ゲームの中でのバーチャルなことと、今ここで起こっているリアルな現実との差が便利さを追求したことにより、経験値が下がり、人間の脳が休止状態になり配慮がなくなることに繋がってしまっているのではないかと心配です。もちろん多動性のお子様も授業中に沢山いらっしゃるとのことですが、それはその子供さんのミネラルのインバランスがそうさせているという考え方もあります。先日オーソモレキュラー学会に参加しました。オーソモレキュラーとは栄養療法のことですが、まずは医師会、歯科医師会、製薬会社などに支配されることのない本当の医療。食べた物が身になるという即ち、細胞を作る栄養が日本人のポテンシャルをもう一度輝かせる方向への第一歩となるのではないかと私は考えております。
すべては食の見直しから。