嫌いな人の考えや存在は意外に必要だった
嫌いな人の意見を聞く。
これはとても難しいことだと思います。
往々にして、その人自身に興味が持てなかったり、リスペクト出来ない人とは、関わりたくないという本能からか話をしたくないと思ったりするのが当たり前だからです。
嫌いな人と同じ時を過ごしたくない、一瞬でもそばにいたくないと感じてしまうので、そんな状況の中、その人の話を聞いて、その意見が正しいとは、なかなか思えないものです。
誰が聞いても正論だとしても自分の感情が先にたち、正しいと思いたくないのが通常でしょう。
しかし、今までの私の人生を振り返ってみると、意外と、その人たちの考えや存在は、私にとって必要なことが多かったように思います。
そのお陰で今の自分の人生があり、色々な選択の結果ではありますが、偶然にも良い人生を歩んでこれたような気がしています。
ある偉大な作家の言葉に「最高の贈り物が綺麗な包装紙に包まれているとは限らない」というのがあります。
まさにその通り。
考えさせられます。
自分の前に起こることや現れる人、すべてのことは、なぜだろうと考えても必然で現れたとしか言いようが無く、そのように人生の流れができあがっているみたいに感じます。
むしろ、そのことに自分が気がつくまで、その事象は形を替え、また人を替え、次から次へと自分の前に現れるのです。
もう一つ例えると、それはまるで運動会のパン食い競争のようです。
ある人はパン(=チャンス)がぶら下がっていることに気付かずに通り過ぎてしまうこともあります。
パン(=チャンス)がぶらさがっていて、そのチャンスに食いつけるかどうかは、自分の経験則や五感や第六感を信じて食いついてみる判断と、それを実行する勇気があるかどうかです。
その判断は、今までの人生で一つひとつの経験から、何を感じ、何を学び、自分には何が足りないかを把握できているかどうか。
自分の欠点はこれだと言うことがわかってくると、躊躇なく食いついてみることが出来るようになってきます。
また、いつも同じ方向性の選択をするのは無意識に癖になってしまっているためです。
たまに全く自分ではやらないだろう、選択しないであろうことにチャレンジすることで、その差は埋まり人間が丸くできあがってくるのではないかと思います。
心と身体の一貫性
現代のストレスの大部分は対人間関係が発端になっていることがほとんどでしょう。
しかし、一度相手のすべてのものを受け入れる勇気を持つことが出来るようになると、人生は自然と好転していくような気がします。
様々な人がいて社会がなりたっています。
それぞれの人たちは、それぞれの役目があるのです。
お口の中の歯も色々な形の歯があり、それぞれの役目を持っています。
一つの歯がなくなると他の歯が、その分負担を受けるようになるのは当然で、一口腔単位の機能を保つことはとても大切です。
また、歯一つひとつもあっち向いたりこっち向いたりと個々が不規則に存在しているのではなく、お口全体の機能が十分に発揮できるためには、歯の並びが綺麗である方が良いのです。
歯のかみあわせは大切で、人間関係のかみあわせにもつながるかもしれません。
まったくの私見ですが、自分の周りで起こる人間関係と身体の中の症状は連動しているのではないかと感じています。
私の場合、人間関係がよくないときには、まず自分の身体や心をフラットに戻すようにし、何かおごっていることはないかなど内省するようにしています。
また、体調が悪い時には断食もしますが、その直前の行動や人間関係など反省すべき点がなかったかを顧みることが多いです。
いつもコンスタントに良い状態を維持できるように、普段から運動やポジティブな考え方を身につけるのもよいと思います。