紺屋の白袴
毎日、患者さんの歯の治療をしている私ですが、昨年、自分の口の中の治療を我慢して放置していたところが複数ありました。食生活が自然なものでないことを改めて反省している次第です。放置するとどうなるのか。歯の痛みを実際に感じることはとても大切なことだ、などという大義名分を利用して放置していたのです。
患者さんには虫歯や噛み合わせの説明や治療はできても灯台下暗し。残念ながら自分の歯の治療は自分ではできないので、誰かにお願いしなければなりません。果たして誰にお願いするか、というとても難しい疑問が出てくるわけです。これは患者さんが、どこの歯医者に掛かったらよいかという疑問と同じかもしれません。歯医者を選ぶには、ネットで病院を検索して、先生の顔写真や経歴を見て、病院の規模や設備、患者さんの数や従業員の雰囲気など、さまざまな情報を得ないと、決められないのではないでしょうか。そのうえ、混んでいるほうがいいのか空いているほうがいいのか、いろいろな考え方があり、これまた悩ましくなる一方でしょう。まさに一か八か行ってみようという感じが実際には多いのかもしれません。
私はというと、その逆で、すべての治療の事情を裏の裏まで理解しているので、これまた悩ましいのです。歯の治療には神経の治療、歯に被せる治療といろいろな治療があり、それぞれについて、考え方や術式、感覚やタッチがあるわけです。知っているがゆえに、「私と同じようにやって欲しい」と考えてしまうのです。クローン人間がいて自分と同じもう一人に任せたいと考えるのはおかしいことではないのではないでしょうか。そうはいっても、クローンはいませんし、誰か一人にお願いしなければならないと、なかなか決断できなかったことが、放置してしまった大きな要因です。
患者側に立つという体験
そこで、治療、臨床の師匠でありケテルの名づけ親、兼ねてから開業のアドバイスも受け大変にお世話になり尊敬している先生にお願いすることにしました。根の中の治療から始まり、被せ物、噛み合わせの治療、仕上げなど、仕事の休みの度に治療に通いました。技工(被せ物を作る技工士さん)の方も知り合いなので、打ち合わせをしながら仕上げていただきました。
治療の方法、手法、道具や材料、病院の設備、そして、患者さん側に立つことで改めて見えてくることがあったり、身を持って治療途中の噛み合わせが変化することによる自分の身体の変化を見て取れたりすることとなり、自分の仕事の大切さを大きく感じ取ることができた体験となりました。
この体験でとても大切なことを再び認識させていだくくことができました。もちろん歯医者の口の中は健康であることが理想的ですが、倫理的にはこの経験が必要なことだったと感じています。こういった大切なことを還元していきたいと考えております。
昨年の流行語の中に「忖度」という言葉が選ばれました。政治家の答弁で多用されたためにイメージは良くないかもしれませんが〝他人の気持をおしはかること〟という意味。本来なら日本的でとてもあたたかい言葉だと思います。
家族のなかでも、友人や仕事のうえでも、自分が自分がではなく、他人の気持ちを推し量って過ごしていけたら、自らを主張するよりも遥かに得るものが大きいのではないでしょうか。