[114]人を想うということ

 

主よ、私は平和を伝える道具になりたい
憎しみには愛で応えます
罪には 赦しの心で接します
争いには和をもたらし  過ちには真理を与えます
疑念には信頼で応え、絶望には希望を与えます
闇には光をもたらし、悲しみには喜びで応えます
癒やされることより癒やすことを
求められるように
そして理解されるより理解することを
愛されることより愛することを
なぜなら人は忘れるからこそ気づくのです
赦すからこそ赦されるのです
死ぬからこそ永遠の命に目覚めるのです

1979年、ノーベル平和賞授賞式における、マザーテレサの挨拶の冒頭の一部です。
私はこの挨拶を聴くたびに、なぜかわかりませんが、自然と涙が出てきてしまいます。
利己主義に対して、利他主義という言葉がありますが、このマザーテレサのスピーチの内容は完全な利他主義であり、自分の欲というものがまったくなく、人のことを想っている状態なのです。普通なかなかできないことだと思います。

ポジティブシンキングの有効性

この「祈り」は思考なのです。「言葉にしなければ、その人の思考、なにを考えているのかはわからない」と、私は思っていましたが、ここ10年くらいの研究で、想いは周りにエネルギーを与え、他の人は無意識にそれを感じ取っているという科学的なデータが蓄積されています。
またその人がなにを想うか、プラス思考のポジティブシンキングなのか、マイナス思考のネガティブシンキングなのかで、その人の遺伝子のスィッチの「オン」「オフ」がおこなわれていることがわかっています。ポジティブシンキングにおいては、身体を健康に戻そうという、癒やしの状態に身体が変わります。ネガティブシンキングにおいては、その逆の状態となってしまいます。
顔の筋肉の動きは脳に監視されています。逆にいえば、顔の筋肉の情報が脳を作動させるともいえます。たとえば気持ちと関係なく嘘で笑うと、その筋肉の動きを脳が察知して、ポジティブシンキングと似た生体の反応が出ます。よって病気を治す場合には、不安があるのは当たり前ですが、「必ず治る」と宣言して、潜在意識と顕在意識をひとつにしてしまうと、摩訶不思議なことが必ず起こりうるのです。
病は気からとよく言われますが、「氣」なのです。「気」は昔は「氣」と「米」の入った漢字を使っていましたが、これには四方八方にエネルギーが飛んでいくという意味があります。

思えば、思われるようになる

マザーテレサのように、人のために尽くしている人は、決して憎まれることはなく、困ったときには、なんとかしてあげたいと周囲からも思われている人です。そんな人間性を常に持って生きていれば、たとえ病気になっても、その人が治りますようにと、どこかで祈っている人が存在するのです。その祈りを本人が気づいていなくても、身体の変化がもたらされるということも、科学的にはわかっています。
自分のことを考えるのはとても大切ですが、それをやめたときに、人は「人間」となるのかもしれません。いつも自分の周りの人のことを考え、その人が気持ちよく、快適に生きられるように努めることが大切なのです。
さまざまな環境に置かれていては、完全に利他主義を貫くのも難しいことだとは思いますが、私も少しずつ、頑張りたいと思っています。歯のかみ合わせも、脳への良い刺激を与えることができるのです。