人の成長は、周りの行動を真似することから始まります。この世に生まれてから成長するなかで、物を手に取ったり、口に入れて舐めたりして確認します。人と接して発声し、言葉を覚え、会話となります。また、文字を書くことを覚えます。親が子どもを躾るとき、年齢の違う子ども同士で遊ぶとき、部活の先輩が後輩に指導するとき、会社の上司が部下に仕事の段取りやノウハウを指導するとき。まずは先輩と同じようにやってみることから始まります。
知識の学び、技術の伝承、職人の技。すべては、先を行く人の真似から始まります。
1つのことを10年20年続けていると、今まで先輩や上司から教わった基礎に加え、自分でも試行錯誤しながら経験して積み上げてきたもの、こうした方が良いと思う要素を足して、ある程度、自分の考え方や技術のやり方が見えてきます。そのやり方が確信へと迫ったときに、親や先輩、師匠から離れ、飛び立ちます。
知、技術、想いを守って、破って、そして、離れるのです。
自分より年下の、年代が違う人や考え方の異なる人と交わることは、ジェネレーションギャップもありますが、正しく指導しようとすると、一言一句に「嫌われる勇気」を持たなければなりません。そんなとき、愛をもって接すれば、すべてはうまくいくのではないでしょうか。
こんな風に言っている人がいました。
「自分と同じ年代や年上の人とばかり接していると、やがてみな、知り合いはいなくなってしまう」。
自分より若い年代の方と意見を交わすことも、生きて行くうえでは大切なことです。
身近なところでは、姑と嫁であったり、親と子であったり、孫であったり……。
時として、上下の区別無く、物事に対する意見の交換をすることも大事なことです。
昨今、日本に暮らす外国人も沢山いますが、そもそも日本は島国であり、単一民族ですので、「言わなくてもわかるだろう」という傾向にあります。特有の気遣いか、優しさからか、自分の意見を率直には言わなかったり、謙りすぎたり。とても奥ゆかしいのですが、穿った見方をすれば、「何を考えているかわかりにくい」と捉えることもできます。
親子であっても別の人間ですから、真っ正面でなくても少し向き合って話しをしてみなくては、本当のところはわかりません。そういう私も、一時期、親と離れて暮らしていましたので、久しぶりに会ったときくらいは穏やかにと、自然に反対の意見は言わないようにするなど、少し遠慮しているところがあったかもしれないと感じています。
正直なところ「嫌われる勇気」は、なかなか持てない現状です。
やはり人は本来、相手に喜ばれたい生き物だからでしょうか……。
みなさんはいかがですか?