【61】思いのままに生きる

思いのままに生きる

「一生青春」。それは、人は一生子どもであり、一生勉強であり、一生ゼロベース思考である……とも言い換えられるのではないでしょうか。
約20年前のことです、アメリカに「かみ合わせ」の勉強に行きました。そのときセミナー室に入る廊下に、The Doctor will be a contenius student.という額が飾ってあったのを、今でもはっきりと覚えています。先生という立場にあるものは、いつまでも生徒として継続して勉強し続けなさい、という意であると思います。どの職業でも、どのような対象でも、「もうこれで良い」と思った瞬間に、それ以上の進歩は望めません。ある程度、頂点を極めるためには方向性を狭めた集中的な学びが必要かもしれません。そして、いつまでも向上心を持ち続けることは、今を生きるものとして、とても大切なことだと思います。
安定というのは、いつも同じ環境で同じ生活をし、要するに暮らしや情緒が安定しているということです。でも、それではずっと何も変わりません。新しいことに挑戦したり環境を変えたり、生活を変えたりすることは、とてもリスクがあることなので、今の安定を守りたいと思うと大概躊躇してしまいます(引っ越ししろとか転職しろと言っているのではありません。自分の本当にやりたいことは何なのか?ということです)。
時と場と状況を見計らってチャレンジする勇気を持ってみてははいかがでしょうか。ただし、変えた環境に今までの自分をそのまま持っていっては、実は何も変わらないともいえます。この世に生かされている人生、そのままで終わってよいのでしょうか。自分の思い描く人生設計はできているでしょうか。新たなことにチャレンジするとき、誰かに話すと「やめておけば?」「リスクがあるからやらない方がよいよ」などと言われることがほとんどです。心配から出た言葉でしょう。でも、本当に気持ちが固まっているなら、すべて決定してから事後報告するのもありだと思います。

震災を機にゼロから再スタート

私がチャレンジをしたのは秋田市で開業をして19年、仕事も生活も安定を図れてからでした。それらをすべてリセットして、東京で、しかも保険治療を辞めて、患者さんが本当に治るような環境づくりをし、根本を正す医療をしようと決めました。東京出身ではありますが、全く知らないところでの仕事と生活。すべてがゼロからのやり直しでした。そんな決断ができたきっかけは東北の大震災です。幸い秋田は大きな被害はありませんでしたが、生きたいと思いながら命を奪われた人達のことを考えると、私には命があるわけで「なにを躊躇しているのか」と心の声がいつも叫んでいました。
震災を機転に人生を変えた方が沢山いると思います。また変えられてしまった方もたくさんいます。今与えられた環境は人それぞれ違いますが、人にはみな、平等に朝がやってきます。そのときにとても大切なのは神様の存在を認識することだと思います。唯物論で生きていると神様の存在というものを忘れてしまいます。神は言うYou look at me, I look at you.あなたが私を見たとき、私は貴方をみていますよ。インドで生き神様にお会いしたとき、その町の電柱に日本語で書いてあった言葉を思い出しました。「人間と神様の隔たりは、その人間の自分自身との隔たりと同じだ」。それまで外へと神を求めていた自分が情けなくなりました。確かなものは自分自身の中にあるのです。