往々にして人は目に見えるものから情報を得ることが多く、見たもののほうが理解しやすく受け入れやすい傾向にあります。見えないものは触ったり臭ったりと視覚以外の五感や、第六感と呼ばれる感覚に頼る必要があるため、感じ方には個人差があります。その代表的ものに「気」があります。
「気」がつく言葉をいくつか挙げてみますと、病気、寒気、雰囲気、悪気、活気、換気、狂気、景気、邪気、元気、電気、磁気、空気、天気、気配、などがあります。また、対人的に「気が合う」「気が合わない」とか、感情的に「気持ちが良い」など、「気」を使った言い回しもさまざまです。
「病気」は「気が病む」と書きます。反対に「元気」は「気が元に戻る」と書きます。「気」の状態で病気になったり元気になったりするわけですが、「気」とはなんでしょうか。調べてみると、「気(き、KI、Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つで、 一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。 しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。 宇宙生成論や存在論でも論じられた(ウィキペディアより)」とあります。
「氣」と「歯」
「気」の旧字を調べると「氣」という字がでてきます。この字の中には「米」という字があります。「米」は四方八方に向かってエネルギーを放出するような形の字です。実は、われわれ歯科医の専門である「歯」という字の中にも「米」があります。「氣」と「歯」には、何か関係があるのかもしれません。考えてみると、食べ物のエネルギーを吸収するために最初にすることは、歯で噛むことです。そして、日本人の主食は米であり、特に玄米は完全栄養食といわれています。こういったところに、「米」の字が使われる関係性があるのかもしれません。
「気」のコントロール
「気」は、出したり引っ込めたり、膨らませたり減らしたりして、コントロールできます。それは、呼吸を意識することから始まるのだと思います。呼吸は空気を動かすことから始まります。そのときの意識の焦点が大切です。瞑想も呼吸を意識するという点で同じですが、一日一回、あえて呼吸を意識する時間を作ると、どんな状態でも気を元に戻すことができて、頭のなかがすっきりしてきます。
毎朝の通勤に私は自転車を利用しているのですが、その途中の長い上り坂の下にある信号でいつも一緒になる、電動自転車に乗ったおばさんがいます。彼女はいつも自転車に子どもを乗せており、電動自転車とはいえ重そうです。そして、おそらく彼女は気づいていないと思いますが、私は毎朝ひそかにその長くてきつい上り坂をどちらが早く上れるか、彼女と勝負しています。
彼女のことをおばさんといいながら、こちらもおじさんです。前日の夜が遅かったり、朝寝坊したり、体調が悪く坂の途中で呼吸が乱れるような状態だと、その電動自転車は子どもを乗せているにもかかわらず、スイスイと私から離れていってしまいます。しかし、坂の下で気合いを入れていこうと「気」を注入すると、私のほうが早かったりもします。毎回「気」をコンスタントに入れられる状態を自分で作ることは難しいなと感じます。感情や肉体的な問題など、いろいろなものが邪魔をしてくるのですが、呼吸を見つめる一瞬をその場ごとに作ることができれば、どんな状態であったとしても、良い結果を導くことができるのではないかと感じています。
大事な場面の直前に深呼吸するなど、日ごろ当たり前にしている呼吸というものを見つめ直すことで、違った方向に人生が動くのかもしれません。