今から25年ほど前になります。ゴールデンウィークには決まって福島のお寺に座禅の修行に通っていました。それは毎年5日間の日程。お坊さんの修行と同じで、朝は日の出前に起き、座禅を組みお経を唱え警策(きょうさく)※をいただきます。
まさに「起きて半畳。寝て一畳」 一汁一菜をゆっくり食す
私に与えられているのは、畳半畳分。体を休めるときは畳1畳分。それ以上でも以下でもなく、ことを行うには充分に足りているのです。食事は一汁一菜を、感謝をしていただきます。食事の最後は、お茶碗にお茶をいただき、大きい器にお茶を入れ、お漬けもののなかの最後の1枚のたくあんを使って器を綺麗にこそげます。 そのお茶は、次の茶碗に移され同じようにたくあんでこそぎ、また、次の茶碗へ移しを繰り返し、最後にそのお茶とたくあんをいただきます。
私の他にも参加者は何名かいましたが、修行の間は一切の人の眼を見ず私語は禁止のため、どのような方が参加しているのかはわかりませんでした。普段の生活では仕事をして、好きなものを食べて、休みの日は好きな時間に起きてTVを見たり趣味に興じたり、赴くままにダラダラと時間が流れるのに対し、ここでは自然に沿った規則正しい生活と、口をゆすぐのと顔を洗うのに一杯のコップの水で賄ったりと俗世間とはかけ離れたストイックな生活です(5日間はお風呂にも入りませんから髪も髭もぼーぼーで、帰るころにはまさに修行僧のようです……)。
自らの「呼吸」に意識を向ける
座禅の間は自分の呼吸とだけ向き合います。これは以前にもご紹介したことですが下丹田という臍の下部分を意識した腹式呼吸です。呼吸は自分でコントロールすることができますが、何か頭の中で妄想を追い続けていたりしているときは、人は息をしていないことが多いものです。
息は吐かないと入ってきませんから8秒吐いて、2秒吸う、つまり10秒に1回、1分間に6回の呼吸を意識するようにします。座禅中は呼吸から眼をはなしてはいけません。
どこかに痛みを感じたり、悲しみや怒りを感じて自分を見失いそうになったりしたとき、そして、もちろんリラックスするときにも、この呼吸を取り入れてみることをお勧めします。
変わる景色やさまざまな音、雑多な問題があっても、自分の呼吸だけを見つめることで、自ずから見えてくるものがあるのです。
朝 希 望 輝 起 夕 感 謝 抱 眠
生 涯 幾 時 明 月 廻 来
苦 境 耐 天 職 勤 社 会 尽 而
趣 味 楽 生 甲 斐 人 生 送
朝は希望に輝いて起き、夕は感謝を抱いて眠る。生涯、幾時か明月が廻り来て、苦境に耐え、天職に勤め、社会に尽くす。また、趣味を楽しみ、生き甲斐のある人生を送る……という感じでしょうか。
どこかにあった文章なのかもしれませんが、書を趣いていた祖父が自分のために、亡くなる前に書いてくれたものです。私も祖父と同じ仕事を続けてきて、時代は違えど、この言葉が人生のすべてであるように感じて、日々毎朝の始まりとしています。
欲を持つと無限に欲してしまうのが人間の悪いところ、欲するのではなく、与えて生きていけたらよいのではないでしょうか。
※禅宗の僧堂で眠気をさまし気のゆるみを戒めるために肩を打つ板状の棒