【48】自分の器を超える時

以前スポーツクラブで自分とは正反対の性格、雰囲気の年上の歯科医に出会いました。
外見や生活行動は私とは全く違っていて、当時は、あまり接触したくない人の一人でした。
大学を卒業して数年の頃、まだ若く「歯科バカ」で歯科のことしか興味が無く、
それ以外の雑多なことは、無意識に生活のなかから排除していたような気がします。
その先生は毎晩のように夜の街に消え飲み歩いていると聞き、「この人には近づいてはいけない」と真剣に思ったものでした。
今、考えるとお恥ずかしい話ですが、なぜ飲みにいくのか、私にはわかりませんでした。
実は、彼はただお酒が好きなだけではなく、人と人との関わりを大事にし、毎日を心から楽しんでいたのです。
当時の私は「歯が治ればそれで良い」と考えていました。しかし、その方とお会いし、人生が180度変わりました。
歯という一部分だけを治す「歯大工」から、感情を持った人間の一部分としての歯を診る「歯科医師」へと。
彼は、今では私の親友です。
唯一、心を割って話すことができ、お互いの意見を言いあえる人として、
現在も仲良くさせていただいています。

医療の教科書は患者さん焦点と感度

平成元年に歯科大学を卒業したので27年間、臨床(歯科診療)をしてきたことになります。
大学で勉強した科学を基礎に、勉強会で世界中を回り講習会で教わったことを患者さんに還元してきました。
医師や歯科医師も実際に教わった科学を患者さんに提供し、本当に良い状態に変化するのかということを、一症例一症例、
確認しながら今に至っているわけです。
とても経過が良く順調である場合も多々ありますが、なかには同じようにしてもうまく結果が出ない場合もあります。
実際に技術的ミスは無かっただろうか、何が他の症例と違うのだろうか、一つひとつ自問自答してきました。
外見上は歯が修復され、歯だけに焦点を当てている場合には、その他のことに気づきにくいもので、焦点を歯から身体へ移すことにより
「身体の状態が変化しているために色々なことが起こるのだ」と気付くことができます。
そういった歯と身体の繋がりを患者さんに教えていただいたのだと思います。
前出のように歯と身体は関係が無いというスタンスで、歯だけを作り上げることに執着していた時代もありました。
しかし、細かく一つひとつを確認していくと、歯と身体、心が連動していることに気づけたのです。
患者さんとしては、歯を削った後に首や肩が痛くなっても、歯とは関係ないと判断し歯科医には伝えないものだとわかり、
こちらから患者さんに聞くようにもなりました。
人間のコミュニケーションの一種である「言葉」についても勉強させられました。
「はい」と答えた方が、本当に「はい」と思っているのかという疑問を感じるようにもなりました。
疑い深いと言われれば、その通りかもしれない。
それも、こちらが施している医療が本当に患者さんにとって良かったのか
「治る医療」をしたいと思い続けたからなのだと思います。
基本的には言葉を、そのまま信じているのですが、たまに言葉と仕草の一貫性が無いと感じることもあり、
その場合、別の質問をしたり、時間差で再確認し、患者さん丸ごと全部を理解できるように心がけています。
言葉は意思を伝える最も優れた会話の道具ですが、アンテナの受信感度次第で、時には配慮が足らず残念なことになってしまうこともある。
そんなことに気づかせてくれたのも患者さんなのです。