【79】当たり前のポジショニング

現代の自動車はとても精巧でさまざまな機能がついており、快適に運転することができます。
壊れることもほとんどなく、良い状態でいつも安定しています。

若い世代の方は、車に興味がなくなってきていると聞きますが、本当なのでしょうか。
もしそうだとしたら、車よりなにか夢中になるものがあるのでしょう。
私はスーパーカー世代ですから、周りをみてもやはり車好きが多いようです。

「安定」は求めないほうがいい?
車は経済面や効率を考えると、何年かおきに買い替えていくほうがいいのでしょう。
しかし、私はどうしても今乗っている車が好きで、修理をしながら20年以上も乗り続けています。

そんな私の車は、実は、いつ停まるかわかりませんし、エアコンをつけても効いたり効かなかったり、音楽を聴いても同じところを流れたりと、なかなか自分の思う通りに動きません。
でも、それが当たり前という感じで捉えているので、「また来たか」くらいであまり打撃を受けません(かなり忍耐強いようです)。
うまくエアコンが効き音楽が自然に流れていると、とてもラッキーだと感じ気持ちよくなります。

車は快適なほうがいいに決まっていますし、車がいつも安定していれば心配をしないですみ、もっと有意義に時間を過ごせます。
しかし、いつも車が安定していて快適である状態に慣れてしまうと、ちょっと調子がおかしくなると不快でたまらなくなります。

これは心の焦点の問題です。
人生も同じで、「日常」が安定しているとそれが当たり前になります。
しかし、突然くる刺激にはとても弱い自分がいることに気づきます。

なにを言いたいかというと、心というものは、ある意味いつも安定を求めないほうがよく、またある意味では安定を求めたほうがよい。
すべてが当たり前にならないということが、とても大切であると感じます。
安定を求めると、そうでないときには不幸を感じてしまいます。
一番良いのは安定がありながらも、不安定に対応する心持ちをしておくということでしょうか。

習慣も安定です。
いつも同じことをしていると生活のなかにパターンができます。
たとえば、同じパターンで行動する人がいると、周りの人はこの人はそうするだろうという予測ができます。
その予測通りに行動がされれば周りの人は順調で幸せですが、違う行動をされれば、勝手なもので、ちょっと不快になったりトラブルを発生させたりします。

人生を楽しむには
どんな状況にもフレキシブルに対応できるようになると、人生の幅が拡がり、なにが起きても動じなくなります。
上がったり下がったりジェットコースターのような感情もある意味必要ですが、余計な心配事が増えてしまいます。
周りの状況に左右されない、強くて柔軟な心を養うことが、大切なのではないでしょうか。

現代の生活はいつも快適で安定しています。
それに慣れてしまったとき、私は自分に刺激を与えています。
たとえば、食事を抜いてみたり、水に潜り空気のありがたみを感じてみたり、いつも自転車で行くところを歩いてみたりします。
そんなとき、普段は気づかなかった身体の変化や気持ちの動きを感じることができ、安定した生活にありがたみを感じます。
目の前にたくさんのありがたみが現れれば、とても幸せに感じられるのではないでしょうか。

いろいろな環境に対応できる自分を作り、当たり前を変えてみることができれば、楽しいことが増えるはずです。
今悩んでいることも、実はたいしたことではないかもしれません。
もし不快、不安に感じることがあれば、一度、「当たり前」を少し捨ててみるのもいいのかもしれません。